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福田康夫
衆議院議員 福田康夫ふくだ やすお、1936年7月16日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員。父は第67代内閣総理大臣の福田赳夫。
群馬県高崎市出身。血液型A型。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、丸善石油に入社。同社課長、実父の福田赳夫内閣総理大臣秘書官などを経て、1990年に衆議院議員選挙に当選。村山内閣改造内閣にて外務政務次官、他に自民党外交部長などを歴任。その後、森喜朗内閣、小泉純一郎内閣で内閣官房長官を務める。官房長官としての在任期間は歴代最長の1289日間。秘書福田達夫は長男、越智隆雄衆議院議員は甥、斉藤明毎日新聞社会長は義兄。清和政策研究会(町村派)に所属。北京オリンピックを支援する議員の会の副会長を務める。
大学卒業後、17年余りに渡りごく普通のサラリーマン生活を送り、父赳夫の秘書となるまで政治の世界にはほぼノータッチだったため、いわゆる「政治家」らしくない感覚の持ち主と言われる。滞米経験などから英語が堪能で、初入閣までは主として外交関係のポストで地歩を築いた。閣僚経験が皆無であったにも関わらず、森内閣で官房長官に起用されたことに疑問の声も上がったが(当時の森派会長・小泉純一郎の推挙であるとも言われている)、無難に調整役をつとめた。続く小泉内閣でも留任、飄々とした人柄の一方でしばしば皮肉を交える物言いの面白さには定評があり、第一次小泉ブームとでもいうべき状況の中で、「塩爺」こと塩川正十郎や田中眞紀子らと共に人気を博した。その後小泉内閣では2度にわたる内閣改造でも留任。森内閣においては首相の失言の弁明に追われることも多かったが、在任期間が延びるにつれ、首相に直言できる女房役としての存在感は次第に増していくことになった。
実務能力には定評があり、官邸主導の政治体制が確立していく中で、政府各省や与党との調整に力を発揮した上、本来の得意分野である外交における存在感も徐々に増していった。とりわけ田中真紀子外相と外務省の軋轢を巡る騒動の中で外務省が機能不全に陥った時は、自ら外務省事務方への指示を行って、「影の外務大臣」などと言われ、党内に基盤を持たなかった後任の川口順子外相の時代になっても外交への関与は続き、退任まで官邸外交を取り仕切ることになった。
在職中は、台湾の李登輝前総統が病気治療目的で来日を希望した際に、中国への配慮から、河野洋平外相と共にビザ発給に反対したといわれる。また、北朝鮮による日本人拉致問題に関し、「終始冷淡な態度をとっていた」と家族会は語っている。
中国や韓国等の、靖国神社参拝に反対している国の意見などにも一定の配慮をすべきこと、憲法改正には周辺国の理解が必要と主張していることなどから、保守層からの批判も少なくない。特に、文芸春秋とその系列メディアが官房長官在任期間中ほぼ毎回福田批判記事を掲載したことに激怒し、文芸春秋から政府広報の広告を引き上げさせたとの報道も一部でなされた(2004年から数ヶ月聞文芸春秋の誌面から政府広報が一切無くなった)。
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